山田方谷のおいたち

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年表

西暦和暦年齢出来事
1805文化2年12月21日、備中国阿賀郡西方(現・岡山県高梁市中井町西方)に生まれる。
1821文政4年17若原進と結婚。
1825文政8年21備中松山藩主・板倉勝職から二人扶持を与えられる。
1827文政10年23春から年末にかけて京都に遊学。
1829文政12年253月から9月にかけて2度目の京都遊学。
1831天保2年277月より藩から2年間の許可を得て3度目の京都遊学。
1833天保4年29陽明学を学び始める。
1834天保5年30佐藤一斎に入門。
1838天保9年34家塾「牛麓舎」を開く。
1843天保14年39三島中洲が牛麓舎に入門する。
1850嘉永3年46大坂に出張して債権者と会談して藩財政再建への協力をとりつける。
1852嘉永5年48撫育方・物産方を設置し専売事業を開始る。
1852嘉永5年48信用の低下していた旧藩札を全て焼却し、新札を発行する。
1861文久元年57板倉勝静、寺社奉行に再任。
1861文久元年57方谷、江戸に上り、勝静の相談役となる。
1877明治10年736月26日、小阪部にて没。

山田方谷について